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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

CHIOS島劇場

                     ≪十月十七日≫    ―壱―

   チェックアウトまで、ベッドに居るようにしようと決めた。
 本当なら、後二日宿泊予定だったのだが、何も見ずにCHIOS島を去ることに した。
 遊学の本にも書いてある。
     「見て回るのは、老人たちに任そうではないか。」
     「我々、若者は何かをする旅にしたいもんだ。」
 エーゲ海の美しさを、のんびり眺めるのにも限界があるようだ。

   平和な生活にも、退屈と言う病魔が忍び寄ってくるのと同じように。
 そういった、忍び寄ってくる退屈さに勝てそうもないのだ。
 歴史が、平和と混乱を繰り返してきたように、俺の人生にも平和の中の退 屈と、混乱の中の狂気じみた生活が必要なのだ。

                     *

   正午前、のっそりとベッドから這い出して、荷物をまとめる。
 港には、白いボートが停泊していて、出港準備に慌ただしく動き回ってい る人々が見える。

       俺  「お世話になりました。今日ピレウスに立ちます。」
       マスター「・・・・・・。」

   ニッコリと微笑んで、マスターは鍵を受け取った。
 昼食を済ませる。
 今日はどうも天候がすぐれない。
 強い風が青い空を、今にも黒い雲で覆い隠そうとしている。
 ”風雲急を告げる!”とは、この事か。
 チェスメの時もそうだったし、CHIOS島を去るときもまたそうだ。

   広場の椅子に腰をかけて、これを書いていると、女連れの毛唐たち  が、同じテーブルにやってきたではないか。

       毛唐「コンニチワ」
       俺 「やあ、こんにちわ」
       毛唐「どこから来ましたか?」
       俺 「日本です。あなたわ?」
       毛唐「スイスです。」
       俺 「・・・・・。」
       毛唐「今晩ピレウスへ向かうのですが、あなたは?」
       俺 「私も同じです。」
       毛唐「そうですか・・・。ハハハハ・・・・。」

   連れの女は、相変わらずニコニコ笑っている。
 なかなかチャーミングな顔立ちをしている。
 17・8歳にも見えるし、22・3歳にも見える。

       毛唐「食事は済みましたか?」
       俺 「ええ、すみました。」
       毛唐「そうですか、私たちはこれからなんです。ああっ、こ っちに居るのが妹です。よろしく。」
       俺 「はじめまして。」
       妹 「コンニチワ。」
       毛唐「私たちは、後二週間旅を続けてスイスに戻る予定です が、あなたはこれからどうしますか?」
       俺 「これから、ヨーロッパを回りながら、イギリスに立ち 寄って、しばらくのんびりしようと思ってます。日本に帰るのは、来年の 五月以降になるでしょう。」

       毛唐「あなたは、東京ですか?」
       俺 「そうです。」
       毛唐「住所を教えてくれませんか。」
       俺 「良いですよ。」
       毛唐「ここに私たちの住所を書いておきます。ヨーロッパを 回られると言うことですから、スイスへも是非立ち寄ってください。」
       俺 「・・・・。」
       毛唐「それじゃあ、また。」
       妹 「バ~~~イ!」

        書いてくれた住所:
                                        HugoStich
        Haupt,st.,419,4245Kleinlutzel,スイス
          Phone:061/890529

                  *

   チェックアウトを済ませてあるので、重い荷物を担いでの移動にな  る。
 広場とかメインストリートを歩いたあと、夕方になって海岸線のカフェに 陣を取る。
 ラジオを取り出して、イヤホーンを耳に突っ込む。
 音楽に耳を傾ける。

   スリーディグリーズの特集に涙を浮かべ、ジャズ・クラシックにジッ と耳を傾ける。
 目は、ジッと暗くなったエーゲ海を見つめている。
 まだ現れるには早すぎることを知りながら、白い巨体が姿を見せないか  と、水平線あたりを見つめている。

    待つ事への辛抱!
    寒さに対する辛抱!

   チェスメで出会ったカナダ人がやってきた。

       カナダ人「この椅子、誰か来ますか?」
       俺   「いいえ、どうぞ!」

   彼も椅子に座ると、両肘をテーブルにつけて、暗いエーゲ海を見つめ だした。

       俺 「あなた、音楽は好きですか?」
       カナダ人「ええ!」

   イヤホーンをはずし、音を小さくして、ラジオからの音が聞こえるよ うにした。
 周りに迷惑をかけないぐらいの小さな音で音楽を流す。
 今日は船が着く日で、人が少しづつ集まりだしてきたような気がする。
 待っているのは、俺だけではないようだ。
 こんなにも多くの人が船の到着を待っているではないか。

   夕闇とともに、ついに雨が落ちてきた。
 そんなに酷くはないが、冷たい雨が海の水面をたたきだした。
 傘をささず歩いている人もいる。
 同じ顔ぶれだろうか、のんびり行ったりきたりを繰り返している。
 彼らもまた、待つ事への辛抱を強いられている人達の仲間であろうか。
 白い船が現れるのを・・・、それを待っている人々をただ見つめている人 達も多くここにはいる。
 それが楽しみな老人たちも、俺たちと同じように何かを待っているのかも しれない。

   船が到着し、出向してしまえば、彼らは各々自分の住処に戻っていく ことだろう。
 船が着く夜は、いつもこんな賑わいを見せるのだという。
 娯楽もない島の生活。
 外部から来る船から、どんな人がやってきて、どんな人が島を出て行くの か見守っているようだ。
 俺がこの島を去った後も、ずっとこうした情景が続けられることだろう。

   雨がアスファルトを濡らす。
 海の中へ溶け込んでいく。
 建物の屋根を濡らす。
 そして、人々の心も濡らしていく。
 灯りがともる。

   車のライトが、一瞬雨の輝きを捕らえた。
 キラキラと光って落ちていく。
 ジッと海を見つめて・・・何かを待っている。
 雨が一段と激しくなり、エーゲ海の暗闇に、突然一閃の稲妻が走った。
 まるで絵の中にいるようだ。
 チェスメの再現か?
 そんな馬鹿な。
 不安が過ぎる。

       俺”あんな大きな船ではなかったか。”

   雨にぬれながら、落ち着いて歩いていたカップルたちが、急ぎ足で去 っていく。
 カフェの中も、雨を避けるべく避難してくる人達で溢れ出した。
 タクシーから、次々と人が降り、荷物を降ろす手が忙しい。
 闇の中から、いつ白い巨体が姿を現すのか、ジッと待っている。

       俺”ついていなかったのは、俺だったのかも知れない”

   そうつぶやく。
 夜の寒さが、何かを待つ身を辛くする。
 雨は相変わらず、激しく音をたてて落ちてくる。
 雨の降っていることが見えない海。
 闇の中に、二つの誘導灯は、今夜も強い光を放っている。
 船の到着する定刻を過ぎているが、船はまだ姿を見せようとしない。

       俺”なに、一時間ぐらいの遅れは、いつもの事さ。”

   隣で音楽に耳を傾けていたカナダ人は、いつの間にかテーブルに頭を 載せて眠っているようだ。
 これが一番。
 待つには、眠るに限る。
 そう思いながらも、俺には出来ない。
 荷物が無くなる恐れがあるからだ。
 この島では心配ないかもしれないが、ここまできて気持ちを緩めることは 出来ない。

   時折小さな漁船が、港に入ってくる。
 小さい灯りが、いつまでたっても大きくならない。
 白い巨体であってほしいという願いにもかかわらず、小さな灯りは小さい ままで港に入ってくる。


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